3103s3013

無です

ゲボ

昨日の夜の記憶が無い。2.7Lの焼酎のボトルを見ると半分以上あったはずがほんの数センチまで減っていた。あったはずの薬もない。Twitterには「死にたい」と120字制限いっぱいに書いてあった。家中ゲボの残骸があって、吐いた記憶はないが片した記憶はうっすらある。ベッドの形跡を見るとおそらく寝ゲロで起きて、吐き散らかしながらキッチンを通ってなんとかトイレに行き、一通り吐いたあとキッチンのゲボをタオルで拭いて洗って拭いて洗って(その記憶だけある)、ゲボの付いたシーツをちゃんと剥がして、お布団を被り気を失ったらしい。起きたらそれはもう悲惨だった。お気に入りのスウェットはゲボまみれのだし、浴槽にはゲボが詰まり湯が溜まっていて異臭がするし、浴室の床とキッチンの床は散乱したゲボでぬめっていた。

わたしは死にたいのか?画面いっぱいの「死にたい」が本音なのかわからなかった。死ぬのはこわい。でもその本能を手放したら、わたしは本当は死にたいのかもしれない。助けてほしいとも思わなくなった。助けてもらえばもらうほど、助からないのだと感じる。以前死ぬのがこわいのに死んでしまいそうだったとき、「助けてほしい」と主治医の先生に泣きついたら、即日入院させてくれた。おかげで死んでしまうような自傷はできないし、生活も最低限息をしていればいい環境で生きながらえた。生きながらえたけど、それは助かったわけではなかった。一時的に保護してもらっても、帰る場所はまだ無いままだ。

全部吐いてしまったから二日酔いとかはなくて、でもお酒が残っているのか今日はずっとぼーっとしていた。シャワーも気づけば1時間ほど流したまま浴び続けていて、なにをしていたかわからないけど体を洗うのにも1時間ほどかかってしまった。そのあと洗濯機を回したけど、洗濯が終わってもなかなか立ち上がれなくて、日が暮れていくキッチンの窓をじっと見ていた。ああなんだか心が無くなったみたいになにも感じないなと思ったのに、ここ2年くらいのことを反芻していたら突然涙が止まらなくなって嗚咽した。この先、なにも始まらないまま終わっていくのを見送り続けなければならないんだ。人が死ぬのもいやだ。別れがあるのもいやだ。あったものが消えていくのがいやだ。なにも失くしたくないのに。全部が違う速度で終わりに向かっている。

明日からまた苦しい日々が続いてく。忘れてしまう寂しさより苦しむことを選んでいるから。抱えきれずに心も身体も耐えられないほど、もう毎日が限界だ。

わたしがまだ生きているのは、わたしがわたしを覚えていないと存在がなかったことになってしまうからで、それがこわくて不安でたまらない。もしも生きているうちに安心することができたら、そのとき死んでしまいたい。選べるならいいけれど、わたしはきっと昨日みたいにバカなことして死ぬ恐怖も感じることもなく呆気なく死ぬと思う。

インターネットにお墓をつくろう。さようなら。生きながら死にたい。いいなあ、幽霊になりたいなあ。